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greregytr

2025年04月01日

各自の要望に応じるも

ちなみに。
セキュリティ会社から、お知らせハガキが届いた。
ホームセキュリティ、12月からオプションとして、新しいサービスが追加されるそうだ。
自分が在宅ではない時、用事を依頼できる。
一回一回、有償で、セキュリティ会社に預けている鍵を使って、家に駆けつけてくれる。
依頼案件は、作業だったり、セキュリティに不安がある時だったり、各自の要望に応じるもの。
これはいいなあ、と思った。
今は利用する場面はないが、今後の何かに備えてスタンバイ、安心が得られる。
セキュリティ会社も高齢者にターゲットを絞るのは必要であり、合理的だ。
散りばめられているニーズを拾う。

ホームセキュリティの範囲エリアなら安心だが、僻地だと業者に頼れない。

今は個人主義が蔓延っているから、ご近所互助システムは、昔のように強くない。
あまりお付き合いがないこともある。
しかも老人ばかりでは、いざという時に、パワー面で頼りない。
闇バイト犯罪は、現実社会の現状の脆弱さ、闇を突いている。

巷のおばあちゃんとは、垣根がなくなりつつある、新規おばあちゃんの、わたし。
今のところ、敵は、自分による自分への軽度認知障害。
550万人いると言われている。
さらにその次は、軽度認知症(450万人いるらしい)。 
そして、その次は本格的認知症。
なにしろあと推定20年もあるので、脳が持ちこたえられるかどうか。
20年を超えると、身体も脳もアウトで、人にお任せした静かな生活が待っている。
今はボロ中古車みたいな現状。
もう車検は通らなくなっている。
いつ動かなくなっても不思議ではない。
ドキドキ、スリルいっぱいの毎日。
が、廃車には出来ない。

この記事、10年後にわたしが読んでどう思うか。
苦笑するだろう。
20年後に読んだら、、、読まないだろう。
30年後は、読めないだろう。
というか、デジタル終活、いつから始めよう?
デジタル遺品、迷惑なんだろうなあ。
ブログは生きがいなのに、インターネット終活は、正に人生、終わりの時だ。
  

Posted by greregytr at 15:48Comments(0)

2025年02月08日

読み間違いをしてい

昨夜は、雨、雷。
怖がりのわたしは、フトン(ウエスタン式では、何という? リネン?)をアタマからかぶって
怖々震えていたが、いつのまにか眠っていた瘦面
知り合いが近くにいないと不安だ。
このアパルトマン、かなり古いけれど、大丈夫??
こういう時は、ホテルのほうが安心できると、つくづく思った。

明け方4時、義母からのメールで目がさめた。
留守宅にいる夫に、お惣菜やお漬け物を届けようか、と気遣いメール。
速「ありがとうございます」と返信し、また眠りについた。
わたしは、どうやら枕が変わると眠れないタイプではないようだ。


先週、閉まっていたマルモッタン美術館。
二ヶ月休館と思っていたが、入り口に貼ってあった注意書きの読み間違いをしていた比堅尼脫毛
昨日から、ナポレオンの企画展がはじまった。
もともと、世界最大級のモネのコレクションを所蔵している美術館らしい。
英語を話す小学生の課外活動の一環らしき団体が、
何点も展示されている、壁いっぱいの大きなモネ作品をナマの教科書にして、贅沢な授業が行われていた。

美術史家であるコレクター個人の邸宅が美術館として使われている。
まあなんと、お金持ちだこと。
素晴らしい御宅に、超一級の調度品。
わたしの目は、肥える一方。
部屋から公園が見え、開かれた窓に清々しい風がなびき、肌に心地よかった。

お金持ちのお家は、やはりあれぐらいであってほしい。
・・・なんてことを言うから(言わなくても心で思うから)、わたしは嫌われる755 脫毛

帰りは、パッシー通りの目ぼしいお店に片っ端から入り、バイヤーに変身して物色。
ウインドウショッピングを含め、5時間、休みなしで、すっかり足が痛くなった。
  

Posted by greregytr at 13:34Comments(0)

2024年12月10日

との接し方を参考にして

わたしが訪れるブログ。
自分の年齢によって、訪れ先も移り変わる。
自分の興味ある分野に関することが書かれているブログを読みに行く。
当たり前、中の、当たり前だが。

自分は出来ないが、自分の代わりに行動、実践、実現している姿に、夢を馳せるCivil Engineering Course
夢といっても、膨大なものではない。 
等身大、それにプラスアルファ。
このプラスアルファが難しい。
実現出来そうで、出来ない。
なので、人様の色々なブログの旅をする。

あまりグルメやファッションには強くは興味がない。
恋愛も興味の的から外れている。
今は、、、小さな旅、1人で行ける近場の旅、毎日の暮らし、、、そういう時間の使い方、自然との接し方を参考にしている。
直近記事ではご本人自撮り顔写真をアップされていて、どういう意図なんだろう、、、と、なんだか微笑ましい。
海外にもブロ友がいて、ブログをアップされる度に必ず見に行っている中學收生
このブロ友はわたしにとっては異次元スペシャルである。
それと、この人に限らず、長年の繋がりは大切にしたい。
(心友Chat GTPをご紹介いただいたブロ友さんにも感謝!)

少しわたしは変わったところがあり、一般、及びその他大勢の枠にはまりきらない場合がある。
一人行動になる。
が、他にも、おひとり様の人が、単独で、お一人お一人各々活動されていて、参考にしながら楽しく見ている。
触発されたとしても、わたしは具体的に何もしないのだけど、いずれ少しずつ自分の中で堆積していくことだろう。
生きている限り、時は止まることはない。

さて。
それはそうと。
趣味分野(社交ダンス)でアマチュアの人に教えてもらうことになったのだが、お金が発生する。対価をお支払い。
そのアマチュア先生も自分が得た技能には多額のお金を投じているし、今もプロに高いレッスン料を支払って習っている。
ちなみに、わたしがアマチュアに習うのは2度目。
1度目の人は中途半端だった。
しかし、何でもトライ。
アマチュアは、プロに比べて技量が劣るが、レッスンにも相性がある。
いくらわたしが、現役時の長嶋茂雄に直にレッスンを受けても、ザルに水、接点ゼロ脫毛學生
アマチュアの良いところは値段が安いこと。
だが、安かろう、悪かろうの可能性もある。
しかし安い分、時間を伸ばせる。長時間。
短時間に凝縮されたプロレッスンと、友達みたいなカジュアル・アマチュアレッスンを両方、受ける手もある。
  

Posted by greregytr at 11:33Comments(0)

2024年10月25日

きだとハッパをかけて

ある人、Aさん。70代。
「老年」に対する捉え方が、わたしと違う。
わたしのことを周りにいる老年の人に比べると、元気だ、エネルギーがある、と言う會計軟件
「周りって?」
70代後半〜90代のことを指しているようだ。

家の近所を歩いている人も、結構お年寄り(80代以降?)らしい。
(かなりの高齢に比べて)若い人は見かけないと言う。
「お年寄り」とひとくくりにしても、老親を介護する老子供もいる。
そういう、(80代〜と思われる)お年寄りの中ではわたしは若いし、身体能力もまだあるのだから、どんどん頑張って活躍すべきだとハッパをかけてくる。

わたしが思うのに、、、Aさんが参加している活動は、年配(70代後半〜)の人が多いのでは?
年配になり過ぎると、着いて行くのが苦しくなり、やめる人も出てくる統一派位

それはそれとして。
Aさんは、60代ぐらいの人々とあまり顔を合わせることがないと思われる。
つまり、Aさんとわたしの間には少し年齢ギャップがあるということだ。
楽しみ方のパターン、方法、経緯が違う。
たぶん、わたしの年齢の人はまだ働いているか、子守しているか、家族の世話があったりして、社会や家庭の中で忙しく、時間を持て余してはいないと思う。
あるいは、活動を共にするのは、夫婦や仲間とだったりする。
昔でいう有閑マダムは、同類マダムとランチ。
そんなダラダラ暇つぶしではない、積極的遊び人は、今ならアクティブ・シニア?
不特定多数のゾロゾロ歩くだけの会には、自分でプランを調達できる人は参加しないのでは?
だが、積極的オリジナリティなく、丸投げお任せ健康活動となると、歩くだけの会などは最適。
行ったことがない地に着いていくだけで連れて行ってくれるし、健康にも役立つ。
それに自主的に参加すること自体が素晴らしい。
だが、前述したように、自分でコースを立案出来る人は参加しない。
参加するのは、健康にはなりたいが、調べるのは面倒、お金もかけたくないというズボラな人が多いのでないだろうか。
そうすると、時間がたっぷりあり、独自活動しないお年寄りが集まる。
家の中には留まらず、とりあえずは家から出るものの、自分では何をどうすればよいのかわからない人it support
フレイル予防、典型的老年パターンではなかろうか。
それはそれで、自主的に家を飛び出し、素晴らしい。
その外出をもしなくなると、他者からの介助や医療が必要になる。
次のフェイズ。国の医療費パンク。
フレイル予防の段階、その中では、わたしは若い、ということになる。
  

Posted by greregytr at 15:06Comments(0)

2024年09月14日

の努力を評価するらし

脱力感というとまだいいが、虚無感、無力感に見舞われている。
ぽかっと空洞が出来たようなかんじ。
何もする気にならないHong kong serviced apartments
時間を持て余す。

キッカケは、ある。
だが、それは本当のキッカケではなく、たまたま、表面的な糸口だったように思う。
自分が追い求めているものは、自分が未熟なせいで絶対に手に入らないものだと実感した。
原因は自分にある。

自分の性格を大改造しない限り、自分以外に解決を求めてもダメ。
では自分が変わればいいではないか。
自分は変わらない。変わりたくない、変われない。
仮に変わろうと努力すると、土台から潰れてしまう。
今まで積み重ねてきたものをリセットすると、土台ごとなくなり、わたし自身が壊れる婚禮場地
そぉっと、上のほうだけ変えたらいいではないか。
あるいは、最小限の芯だけ残して、大改造。
または、大々的な改造でなくても、ミニミニマイナーチェンジするか。
だが、自分が足を引っ張っている。
どうにもこうにもならない。

さらに考えられるのは、努力したからといって変われるわけではない。
期待する結果が得られるわけではない。
努力もせずに、架空で言っているわけではない。
努力はした。
よく言われる日本人的特徴としては、プロセス重視で、結果より、到達するまでの努力を評価するらしい。
が、、、諦めるという結果もある。
目標から手を離す。
諦観、解脱の心境。あと一歩。

そこで、般若心経読本。
あまり役には立たなかった。
気を鎮めたり自分を立ち直させたり、全然しない。
よけいに落ち込んだ。
何をしてもダメなようだ。
こういう場合は、何もせずに時を待つ。
が、待っている間は結構、苦しい。
こんなことは、今まで初めてだ。

とは言え、思い起こせば、かつても経験したように記憶する禮品訂製
1回目の無気力は18歳、2回目は40歳代だったが、特に40歳代の無気力はただ「楽しいことをしたい、という、自発的&活発な意欲がない」と自覚するだけのもので、さほど気になるほどでもない、うんと軽い症状だった。
  

Posted by greregytr at 09:28Comments(0)

2024年08月03日

ある表現になっている

「燕は戻ってこない」。
これはNHK TVで火曜日22:00から放送されているドラマである。
桐野夏生、原作。
かなり刺激的な内容であるが、毎週、息もしないで(いや、少しして)固唾を飲んで、熱心に見ている。
稲垣吾郎、黒木瞳が、まあまあまあまあまあなんと、カンジワルイ役で、なかなか印象的。
稲垣吾郎は、夜ドラを挟んで、引き続き23:00からの「ワルイコあつまれ」でのキャラクターのギャップがスゴイ。おもしろい抖音廣告

今週、一昨日、放送された中に、わたしのこころを鷲掴みにした、黒木瞳(母親役)のセリフがある。
表現は少し違っているかも知れないが。
「努力もしないで(不遇な今の状況を)生まれのせいにするのは最低」
これ、刺さった。
わたしに、言ってる?

多くの人は、「努力している」のに報われないと嘆いている。
あるいは、「努力している」のに報われないのは生まれのせいだ、と、努力していることを主張する。
それをわざと肯定せず、逆説的に扱い、反感を買うことで強調され、インパクトある表現になっている荃灣杜牙根
深層心理を揺さぶり反応を引き出す。

これの変形バージョンなのだが。
のほほんと、ナマケモノ、省エネ主義のわたしは、
「努力もしないで今の安泰を、生まれのおかげと安堵するのは最低」
そう言われているような気にもなる。
否。努力したから安泰を掴んだのだ、生まれのせいではない、と、自分のやってきたことを評価することだろう。
努力と生まれと幸運のおかげ、なんていうのもある。
どちらにしても、今、波風立たずに満足している人には、不穏な喚起だ。
幸せぼけに一石を投じる。
が、幸せ感は、尺度や基準は人それぞれ。

代理母をテーマにするこのドラマでは、「生まれ」とは、主に遺伝子のこと。
加えて経済状況を含む環境なのだが。
母親役の黒木瞳の口から出るわ出るわ、ケシカラン言葉の山。
あっけらかんと自分肯定、他人否定。
バレエ業界に悪感情を抱かせてしまうのではないなと、かえってわたしは老婆心。
人それぞれ一人一人尊厳があるので、バレエダンサーだけが飛び抜けて地球上の誰よりも尊厳があり高付加価値があるとは理解し難い。
滑稽に思えてくる。笑ってはいけないのだが。
作者や脚本家の意図にハマっている?

努力をする、しない、、、努力の内容も、時代の移り変わりがある。
優秀な遺伝子(精子、卵子)が高値で流通する時代に投げかける、「生命って、なに?」CT費用。  

Posted by greregytr at 16:43Comments(0)

2024年06月21日

もう卒業かも知れない

ミニ鬱が続いている。
正確には、「続いていた」。
何もする気が起きないのに、強い外圧(長きに渡りプッシュされること)により決断、実行の期日を迎え、無理やり渋々、嫌々、行った。
また別件で長い期間、返事を求められているものもあり、本当に嫌で気が進まないのに、決行した去黑眼圈

どうにか動いたことにより、苦痛が和らいだ。
出口が塞がれているのに、後ろから突き上げられる苦しみから、一時的に解放された。
だが、解決したわけではない。
動かなかったものが、ようやく動き出しただけだ。

渋っていた、避けたかった事柄を無理やり行ったところ、肩の荷が降りた気楽さのせいか、その大嫌いなことをキッカケとして派生する別の事柄に、興味を抱いた。
本筋ではなく、枝葉のほうに、光を見た。
だが、これは、動かなければ見えないものだ。

自分と向き合い、悩みを解決するため、ヒントを得るために、訪れていた他のブログがあったが、もう卒業かも知れない脫毛 邊間好
停滞を切り抜けて、次の段階に移り始めている。
机上の幸福論を煮詰めていたが、具体的な内容を見つけ始めた。

大袈裟に書いた。
早い話、林住期をどう過ごそうか、暇に任せ退屈を通り過ぎて虚無感に襲われていたが、やりたいことが見え始めた。
それだけだ。

精神論はもういい。実践へ。
実際に行った人々の行動を参考にして、自分の計画を立てたい。
まだ立案とまではいかない。
もやもやした霧が少し晴れた森の中にいるよう。

その一つに、旅がある。
バックパッカーのご夫婦のブログが連日、ブログ村エッセイにランクインされていて、楽しみにしている。
このバックパッカーの旅とは真逆の、まさに対極にある、豪華客船の長旅をする人がいる。
対比すると、興味深い。
自分は何を求めているか、潜在意識を探る参考になる。

まだわたしには、体力と気力がある。
だから、枯れるには生乾き。
想いと現実がうまくマッチせず、軋んでいたかも知れない。
やる気をチャージするのに、わたしは人の何倍も時間がかかる。
ガソリンがどこかから漏れているのに、頑張ってエンジンを蒸していた古法紮肚
どこから漏れているのか探すのに時間がかかる。
漏れが発見できたなら、漏れている箇所を修復しなければならない。
今はまだ、そんな段階だ。  

Posted by greregytr at 10:26Comments(0)

2024年05月15日

便を利用することにし

日曜日の午前中は、静かだ。
二度目の静かな日曜日を迎える。
キリストさんは、日曜日には休息せよ、と、よく言ったものだ。
皆さん、それだけは、忠実に守っているように思える脫毛價錢


さてさて、
いよいよ帰国を明日に迎えた。
すっかり部屋食にも慣れ、家っ子ひとり住まいを満喫している。

「部屋のシーツだの枕カバーだのを洗濯しておいてくれたら嬉しいです」、みたいなメールが、
アパルトマンを紹介してくれた人から入った。
洗濯は、やぶさかではないが、初日に確認したものの、洗濯機が動かない。
たぶん、どこか、操作方法をミスっているのだろう。
固定電話の受話器のバッテリー残量もゼロhairless 脫毛好唔好
さあて、どうするか。

来る時にすでにスーツケースは22キロで、重量限度いっぱい。
で、お土産など、バイヤー品が確実に増えるため、郵便局で宅配便を利用することにした。
ところが、その、ちっちゃな宅配便箱に、荷物が納まるか、否か。
これから、だめ押しのお土産調達に出かけようと思っているのだが、
それよりも先に、これまでのお土産が、箱に入るかどうか、やってみたほうがよさそうだ。
重量制限もあることだし。

なんだかんだいって、帰国へのカウントダウン。

滞在中、社交ダンスのSNSの人との、悩み問答みたいなやりとりがあった。
急を要する悩みでもなし、なにもパリくんだりでやるようなことでもない。
その人も、「フランス滞在中にすみません」とお詫びの言葉を添えられていた。
日常を離れてこそ見えることもある。
人の悩みに触れながら、自分の行く道を確認したり。


そろそろ、帰る準備にかかります。
行く時は、ちゃちゃっと、実にいい加減に準備した。
身軽に動ける、日常のニュートラルなスタンバイこそが大切だと感じる長者助聽器價錢
人生においても、だ。  

Posted by greregytr at 16:04Comments(0)

2024年04月03日

ずらに苦しい時間を過ご

とは言うものの、頑張っても改善しない。
自然にまかせると、一向に良い方向に向かわない移民加拿大
病気や怪我も治らない。
むしろ膿んでくる。
しかし、外科的治療をする勇気がない。
受け身、なすがまま、自然派のわたし。
ハッキリした行動を選び取り、能動的に選択する人が見ると、イライラすることだろう。
時間に任せても、化膿している場合、抗生物質のお世話にならなければ、いたずらに苦しい時間を過ごすだけ。

わたしにも、気持ちの波がある。
躁状態と鬱状態が交互に繰り返される。
これも人間の自然なメカニズムの一つかも知れない。
別に方針として考え取り入れたわけではないが、そういう時は、薬の力を借りることなく、天然の涙で洗い流す愛爾蘭移民

悲しみやイライラ、嫌な感情、負の思いは誰にでもある。
皆さん、どうやって対応しているのだろう。
決して克服しているわけではないと思う。
自分に正面から向き合って受け入れるか、あるいは、ぷいと横を向いて知らん顔する。
あまり生真面目に受け入れようと頑張らなくてもいい。
自分に無理を強いるのはよくない。
しんどい。
何ごとも自然の流れに身を任せる。
濁った水も、静かに放置すると、やがて固体は沈澱する。
だが、溶けてしまった液体の場合、待てど暮らせど、濁りは元のように戻らない。
どうする?
どうしようもない。
そう。どうしようもないのだ。

一度、全て捨てて、容器を洗浄して、また新しく一から入れ直す船運英國
しかし、真水には生物は棲息しにくい。
少々、濁りや他との混ざりがあるほうが、栄養になることがある。
ただし、栄養のつもりが腐っていることもある。
悪貨は良貨を駆逐することもある。
体調を崩してみて初めて腐っていることに気づく。
自覚症状がなくどんどん悪化している場合もある。
気づいた時は手遅れ。

まあ色んなケースがあるわけで。
自分で考えて決めてもうまくいかない。
そんな時は、手を離す。身体の力を抜く。
流れに身を任せる。
これ、映画の「はい、泳げません」で、水泳コーチの綾瀬はるかが言っていた。
深い示唆がいっぱい詰まっていた。

ちなみに、話はころっと変わるが、
俳優の長谷川博己、好きだなあ。
お笑い場面は、力が入り過ぎて、その力の入れ方はワザとなんだろうけれど。
ダンスにも、力を入れて、力を抜く、という動きがある。
前に力を押し出しながら後退する、というのもある。
運動も人生も共通点があると感じる。

ブログで1時間遊ぶ予定がまだ30分しか経っていない。
今日のブログはあんまり、わたしを救ってくれなかった。
だけど、時間潰しもまた、良いのかも知れない。
まあなんでもいいのだ。  

Posted by greregytr at 15:19Comments(0)

2024年02月21日

同じ言葉を繰り返す

全ての人が納得して丸く収まることなどない。
にしても、、、
オリンピック違約金?
こんなコロナ事態が起きるとは世界中の誰もが想像できなかった電動牙刷比較
コロナ渦に自国で開催したくないというのは、契約違反なのか?
人道的にはどうなのか?
開催によるコロナ拡大の対策費は?

ソフトバンクの孫さんも反対を表明している。
政治家は反対と言えない縛りがあるのだろうか。
頼りにしていた小池都知事でさえ、安心安全の開催に向けて全力で頑張ります、などと淡々と同じ言葉を繰り返す。
あれだけステイホームを都民に訴えていた人が。
コロナのための犠牲なら仕方ないにしても、コロナ渦オリンピックのために犠牲を強いられているcool 牙
怒り心頭である。
国民の声を政治や政策に反映させるのが政府や政治家ではないのか。
誰のためのオリンピックなのか?
誰が決めるのか?

国民への説明は、開催を前提とした、「安全安心の開催を、、、」と機械的に言うだけ。
反対意見に対する説明は無し。
政治には全く無知無関心なわたしだが、今回ばかりは、反対を唱える野党の声は、身体と心に染み渡る。

感情論だけでなく、開催するメリットとデメリットを数値、データ実数、経済指数、予想指数、医療を含め予想社会図をきちんと理論的に納得できるように示してくれたらまだしも、開催までに2ヶ月を切るこの秒読み段階では不可能。
押し切るか、断念するかが舵取りの重要な判断であるが、いずれにせよ叩かれるのは目に見えている。
歴史を振り返り、どう評価されるか、であるが、歴史のそのリアルタイムの当事者、国民にとっては、後に評価なり、社会的意義なりを説かれても自分の生活は返ってこない。
50年後に国に補償や謝罪されている様々な国家的被害者の皆さんは大勢いて、彼らの失われた人生は戻って来ない正電子掃描、、、。
当時の責任者はこの世にいないことが多い。

「責任者、出てこい!」
と、肩をいからせ揺らしながら発する、昭和のぼやき漫才、人生幸朗さんのギャグは、なかなかのものである。  

Posted by greregytr at 15:58Comments(0)